フォトイレブン

写真に関する事やPhotoshop関係、ミニカーについての記事を書いていこうと思ってます。仕事の関係上、不定期更新になると思いますが よろしくおねがいします。

アーチトップギター

昔、少しギターをやっておりましてその時の練習動画です。

 

ギブソン Gibson L-30

1920年代から1940年頃のブルースが大好きでしてこれは、

 

ロバート•ジョンソン ”Phonograph Blues”

です。

 

1911年、ジョンソンはミシシッピ州ヘイズルハーストに生まれた。父親はチャールズ・ドッズ・ジュニア、母親ジュリア・ドッズだったが、ジョンソンは実は母親の浮気相手ノア・ジョンソンとの間に生まれた子供だった。10代の頃に本当の父親の存在を知った彼は、ジョンソン姓を名乗るようになった。

1929年、まだ16歳だったヴァージニア・トラヴィスと結婚、ヴァージニアは身篭るが、翌1930年、出産の際に子供とともに死去。

アコースティック・ギター一本でブルースを弾き語りして、アメリカ大陸中を渡り歩いた。当時の聴衆はギターのテクニックが巧みなのに驚き、「十字路で悪魔に魂を売り渡して、その引き換えにテクニックを身につけた」という伝説が広まった[1]。これがジョンソンにまつわる「クロスロード伝説」である。

1936年11月、テキサス州サンアントニオで初めてのレコーディング・セッションに臨み、3日間で16曲をレコーディングした。1937年6月には二度目のレコーディングのためにダラスに赴き、13曲を残している。生涯に残したレコーディングは、この2回の合計29曲(レコーディングは59残したが、現存するのは42テイク)だけである。

翌1938年8月16日、27歳で死去。その死因については「ダンスパーティーで知り合った人妻と不倫をしたため、夫により飲み物にストリキニーネを盛られて毒殺された」、「人妻との情事を夫に目撃され、その場で刺殺された」など諸説あり不明である。ジョンソンの妹は病死だったとしているが、上記のクロスロード伝説では、ジョンソンの命を奪ったのは悪魔であると語り継がれている。また、亡くなったミシシッピ州グリーンウッドの役場に提出された死亡届には、死因に「No Doctor」とだけ記載されており、この事も謎めいた推測を増長させる要因となっている。ちなみにその年の暮れ、その事実を知らなかったプロデューサーのジョン・ハモンドカーネギー・ホールでの開催を予定していた「スピリチュアル・トゥ・スウィング・コンサート」にジョンソンを出演させるため、捜し回ったというエピソードが残っている。

1961年にジョンソンのレコーディングがLP『King of Delta Blues Singers』でリリースされ、ジョンソンの音楽は再び注目を集めるようになった。

1989年には初めてジョンソンの写真が公開され話題を呼んだ。そして翌1990年には、これまで未発表だった別テイクも収録した『The Complete Recordings』がリリースされた。このジャケットに使われていた写真は前年公開されたものとは別のもので、これもここで初めて披露されたものであった。2007年、ジョンソンがミュージシャンのジョニー・シャインズと共に写っている写真が発見され、数年に渡る鑑定の結果、2013年2月にジョンソン本人と確認された。

2011年には、『The Complete Recordings』をリマスターして、『The Complete Recordings』に未収録だった「Traveling Riverside Blues」の別バージョンも収録した『The Centennial Collection』がリリースされた。『The Complete Recordings』と比較するとノイズが増えたが、音質が向上した。

ジョンソンは他に1人の息子をもうけている。

 

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いやぁ へたっぴ!

 

けど、この動画約9年前につくったのですが、

5500人以上の方が見てくたさって、結構海外の方から見てくださっていて、海外の方からコメントももらっているんですよ! 

 

 

 

最後まで見てくださってありがとうございました。